長崎県薬剤師会Topページ > 東日本大震災における薬剤師ボランティア活動報告の紹介 > 報告書


東日本大震災における薬剤師ボランティア活動報告

一覧へ戻る

 

前の報告へ


次の報告へ


報告者 : 吉田 恵美子

活動日:平成23年4月29日~5月3日

活動地区:気仙沼(第12班)

 

H23年4月29日(金)

  19時よりJALシティ四谷近くで、打ち合わせを兼ねて食事をしました。

福岡5名、山口1名、熊本1名、沖縄1名、長崎1名 計9名の班編成。
南三陸に福岡4名、石巻に福岡・沖縄2名、気仙沼に山口・熊本・長崎3名。

車3台に分かれて移動しますが、渋滞が予想されるため、朝6時出発が1時間繰り上がりました。

 

H23年4月30日(土)

 

朝5時、四谷を出発。
11時頃、仙台の宮城県薬剤師会館に到着。

県薬理事より説明を受け、11班から引き継ぎを受けました。

3階には、支援品のOTCがたくさん置かれていて、必要に応じて各地へ。
1時前に11班は帰路へ、12班はそれぞれの地に向けて出発しました。

宮城県薬剤師会館 4月30日11時
  宮城県薬剤師会館3階 2011年4月30日
 

気仙沼には、3時過ぎに到着。
本部となる健康管理センター「すこやか」の周りは地震・津波の影響はさほど見うけられません。
中には、備蓄医薬品や医療具がおかれており、必要に応じて払いだされます。
気仙沼では、各地より集まった医療チームが、26の避難所・施設をうけもち、医療支援を行っています。 
医師・看護師などの医療班のほかに、栄養士やリハビリ班、心のケア班、針きゅうマッサージ班など、さまざまな団体が集まっています。

  気仙沼:健康管理センター「すこやか」 ミーティングの様子

薬剤師は、各医療チームの一員と、東京都薬や私たちのように宮城県薬から派遣された薬剤師となります。
本部では、朝8時からと夕方5時より、ミーティングがひらかれ、チームの出入りの紹介や各地の報告をおこなっています。
また、一般のボランティアの拠点にもなっており、たくさんの人の出入りが見られました。

5時のミィーティングまでの間に、医薬品等の備蓄状況を確認し、気仙沼在住の嶋村先生よりこれからの指示をうけました。吉田は、東京の立川相互病院の医療チームに同行して、市役所にある診療所へ、
あとの二人は、聖マリアンナ病院チームと一緒に大島へ行くことになりました。
ミーティング前後には、慣れない雰囲気にとまどいつつ、戻ってきた医療班からもとめられる医薬品を探していました。

いよいよ明日から活動が始まります。

 

宿泊は、卸会社のひと部屋をかりて、寝袋を利用しましたが、コンビニや居酒屋などお店が開いていたので、食事に困ることはありませんでした。

 

H23年5月1日(日)

 

朝6時前に起床。昨夜は暗くてさほどわかりませんでしたが、宿泊先まわりも地震・津波の影響がみられ、さらに海沿いまで車を動かすと被害を受けた家やがれきが目にはいり、そのすごさにあぜんとするばかり。

それとは反対に桜の花が満開で、静かなその風景はひときわ印象的でした。

気仙沼 道路の様子 2011年5月1日朝

8時からのミーティングのあと、立川チームの車で市役所へ。午前中は、旭川の医療チームが担当するということで、あいた時間に陸前高田市までいくことになりました。海沿いの道が通れないため、迂回路で山をこえて小一時間。おだやかな山道をぬけると、目の前には、がれきの残った橋、車はとおれるようにはなっていますが、あたりはがれきの山。3階4階建の建物のみがのこってあとはなにもない状態。
自衛隊がはいっての復興支援が進んでいるとはいえ、声をなくしました。胸が痛くなります。
 


旭川の医療チームは、DMAT(災害派遣医療チーム)なので、各地域をみてまわるとき、必要に応じて調剤できるように薬剤師さんは薬を携帯。そういう活動のお話が少しでも聞けたことは貴重でした。
午後からいよいよ仕事。日曜日ということもあって、4名の受診。薬情もなく、薬袋も使い慣れていないものだし、薬手帳も手書き。日ごろ、いかに器械に頼っているのか痛感させられました。

   
H23年5月2日(月)
 

7時半に本部が開くので、それからミーティングまでの間に、薬の払い出し。
ミーティングの後は、昨日と同じ立川チームに同行して、市役所へ。
診療所の同じ棟に、社会福祉協議会があり、平日なので、仮設住宅の入居の相談などの窓口があって、朝からたくさんの方がこられていました。受診者も、26名。けっこうあわただしい1日となり、少しは働いているかなと思えました。

地元の医院や調剤薬局も、なんとか再開していたので、できるだけ利用していただこうと、院外処方せんにし、近くの薬局の先生と連絡をとったりしました。
震災の前から心療内科に通院していた青年や自閉症の子どもさんの薬を取りにこられたお父様、精神科の薬を服用中の方など、精神科系の薬も調剤。気持ちをはりつめて仕事されている職員さんなど、精神的な訴えのある方もおられました。
日ごろの業務とさほどかわりないことをしていても、話をしていると災害をうけられた状況やその後のことなど、かなりストレスの多い状況の中で、体もですが、心もしんどくなってきているのがわかりました。その場にいるみんなで、少しでも気持ちを楽にしてもらって、無理しないでがんばってもらえるといいなと思いながら、話を聞いていました。

これからは、心のケアがますます必要だと感じます。
 

午後、少し離れた地区の公民館へ往診。自治会長さんとあと一人のみ。10名ほどいたひとも、アパート等を探して、連休中に移られるとのことで、次回より往診は中止となり、震災後2カ月近くたつと状況も急性期を過ぎ、慢性期に入ってきていると感じました。
あっという間に二日間がすぎ、明日は帰路へ。宿泊は、1・2日は、気仙沼駅近くの旅館に、格安で泊めていただき、畳の上で寝られる幸せを痛感しました。

 

H23年5月3日(火)

 

8時のミィーティングの前に、払い出し。
衛生状態の良くない島では、シラミの発生もあって、スミスリンパウダー(シャンプーは、水が出ないので使えない)を手配したり、5か月の子どもさんへの離乳食の手配など、各医療チームからの要望に、いろいろ対処していくのも薬剤師の仕事でした。


今日の夕方のミィーティングで、26地域への対応の見直しなどが検討されることになり、時間の経過とともに支援の内容も変わってきているところでした。

 

次の班への引き継ぎがあるので、各チームの出発を見送って、宮城県薬剤師会館へ出発しました。
連休ということで、車の数も多く、順調に到着したのは私たちの車のみ。他の東京からの13班と石巻・南三陸からのチームは2時間近く遅れての到着。引き継ぎ、昼食をとって東京へむかいますが、渋滞にもあい、東京四谷には、午後11時着となりました。

 

<感想>

 

あっという間に1ヶ月が経ちました。
わずか二日間の活動でしたが、貴重な体験をすることが出来ました。
震災より約2ヶ月たっていたこともあり、日常の生活もいくぶん戻ってきていて、被災されながらもがんばって暮らしてらっしゃる姿を多くみかけました。
今後も、できることをやっていこうと思いつつも、日々の業務に追いかけられていますが、これから、まだまだ長い道のりが続いていきますので、忘れることなく、自分にやれるなにかを続けていきたいと思います。

 

この画面のTOPへ


一覧へ戻る


前の報告へ


次の報告へ




 

ホーム


Copyright(C),2011 ,社団法人 長崎県薬剤師会