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報告者: 明石 靖久 |
今回私の参加したチームの活動は宮城県の南三陸にある避難所の拠点となっている志津川ベイサイドアリーナにできている仮設の診療所での調剤業務を中心に、避難所を巡回している各医療チームが不足している医薬品の払い出し、さらにベイサイドアリーナ内の衛生環境の整備といった事でした。 |
ベイサイドアリーナに着いてまず感じたのは物資の充実ぶりです。医薬品は普通の薬局以上に揃い、体育館には支援物資が山積みされており、これがなくて困るといったものはほとんどありませんでした。マンパワーもかなり充実しており、自衛隊、警察、消防、をはじめ多くのボランティアの方々が集まっており、医療チームもTMAT、JMAT、DMAT、HUMA等多くのチームが参加していました。 宮城県の他の地域に比べライフラインの復旧が遅れている南三陸では4/12の段階で未だに電気・ガス・水道全てが使えず、電気だけがようやく15日の夕方から通ったという状況でした。この中で、電気に関しては自家発電のおかげで非常灯は常時点いており、夜の6時から8時までは全部の明かりが点いていたのでさほど不自由を感じる事もなく、ガスも特に使う事がなかったので問題ありませんでしたが何より不自由を感じたのは水でした。 避難所に行くと普段我々の生活にあって当たり前のものがどれほど健康維持に役立っているかがよくわかります。水もそうなのですが空気もその一つでした。被災地の空気は見えない粉塵で充満しており、マスクをしていても防ぎきれない微量の粉塵が身体に入ってきます。被災地では粉塵の影響で喘息が3~5倍、さらに様々な病気が増えているとの事です。私が現地に行っていた時もノロウイルスが蔓延しており、花粉症も症状が増悪している感じがしました。古い建物の多い被災地では粉塵の中に含まれるアスベストが懸念されます。 水・空気以外にも大切なものがあります。それは空間です。子供たちが遊びたくても遊べるスペースがありません。私が唯一、子供たちが身体を動かして遊んでいるのを見たのは夜の2時間だけ電気が点く間にベイサイドアリーナの入り口前の僅かなスペースで4人の子供が2組に分かれてリレーをしている姿でした。日中は人の出入りが激しく、他の場所は全て人や物で埋まっており思いっきり身体を動かせるスペースがないのです。しかも外はどこも埃がひどいのです。 被災者に対して私たちが出来る事はごくごくわずかな事しかありません。しかしそのわずかは必ず必要なものなのです。ボランティアに参加するのも一つ、募金をするのも一つ、祈るのも一つ、・・・。ただ忘れてはならないのは、支援はあくまで被災者自身が復興していこうとする手助けでなければならないことだと思います。復興の主役は被災者なのです。今私たちがすべきことは復興させるのではなく復興しようとしている被災者のサポートだと思います。 |
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