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東日本大震災における薬剤師ボランティア活動報告

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報告者 :  堀   剛

 東日本大震災における災害ボランティアで災害派遣薬剤師として4月11~15日、宮城県南三陸町にて活動を実施してきたのでご報告させていただきます。
【第6班南三陸チーム】  

 主な業務内容は、宮城県南三陸町ベイサイドアリーナ避難所にて救護所調剤、各医療チームへの医薬品払出し、入出庫の医薬品仕訳、それと公衆衛生の実施でした。
  メンバーは長崎県から堀、亀山、明石の3名、熊本県から佐藤、古賀の2名で合計5名の九州山口薬剤師会 第6班南三陸チーム(仮称)でした。

 

避難所となっている町立のスポーツ施設ベイサイドアリーナ。避難所となっている町立のスポーツ施設ベイサイドアリーナ。
この日はラーメンとちゃんこ鍋の炊出しサービスが慰問で行われていた。
373_large左から亀山先生、私、明石先生(長崎3名)、 佐藤先生、古賀先生(熊本2名)
【これはボランティアではない?!】

 現場に出向く前に宮城県薬剤師会にて現状説明などを受けました。
 まずは、支援に向かうにあたっての私たちの立場ですが、『我々は厚労省より依頼 (日薬災害対策本部HP参照) されて活動する災害派遣薬剤師であり、その活動範囲は宮城県薬剤師会に属します。決して単なるボランティアではありません、現地の薬剤師や医療チームと避難者への医療支援なのです、よろしくお願いします!』と気持ちを高揚させられるような説明と激励を受けて送り出されました。

【絶句する景色】  

 宮城県薬を出発し約2時間かけて現場の南三陸町に到着しました。南三陸町のホームページによると約17,000人、漁業を中心とするほのぼのとした港町だったそうです。そして、その町は山間の蛇行した国道を抜けて姿を現してきます。
 『あ、山が開けてきたっ。…えっ、うそ、こんな所から…マジかよ…』
 ほんとに山間を抜けたらすぐに瓦礫が見えてくるのです。これには驚きました、災害から1か月経っていましたが、画面越しに繰返し見ていても、一回でも実際に見るのとでは大違いで、その生々しさとインパクトに絶句してしまう景色でした。

  山が開けてすぐに瓦礫が…。ここで海岸から3~4㎞地点、こんなところまで船が流されてました。
山が開けてすぐに瓦礫が…。ここで海岸から3~4㎞地点、こんなところまで船が流されてました。
防災対策庁舎。ここで避難放送を流していました、津波に飲み込まれる最期まで呼びかけていたそうです。
防災対策庁舎。ここで避難放送を流していました、津波に飲み込まれる最期まで呼びかけていたそうです。
  無残な姿になった公立志津川病院、地域の基幹病院でした。生き残った患者と職員は3日後に救出されました
無残な姿になった公立志津川病院、地域の基幹病院でした。生き残った患者と職員は3日後に救出されました
高台から撮った災害地、だいぶ撤去されているが他にも手が付けられない場所はたくさんありました。
高台から撮った災害地、だいぶ撤去されているが他にも手が付けられない場所はたくさんありました。
【薬剤師の業務】

 この東日本大震災ではカルテも流され、患者本人が個人を特定する身分証明書をもっていない場合があります。そうなると救護所では初期診断から始めますので、現場は騒然としていますし、数をこなすためにスピードが要求されます。私が着任したときは少し落ち着きを取り戻していましたが、それでも新患が受診されていました。その受診の流れは現医療システムを非常にシンプルにした形で行われていました。
 その流れに処方せんは介在しません、カルテから処方を読み、必要に応じて疑義照会を行い、服薬指導して1つの災害用薬袋に入れ込んでお渡しする。照会により処方が訂正されたら薬剤師自らカルテを修正する。これで一連の作業が終わります。薬歴はありません。当然、費用(一部負担金)も発生しません。
 現在の医療システムは機能分化が進んでおり、各業務が分担されています。薬剤師もそのシステムで機能しています。診察を行う医師も様々であり、内科、外科、整形外科…Drにも得手不得手があり、診断ができても薬剤の選択に手間取る事が多いようです。その時、私たちに出番があります。幅広く薬剤の特性や種類、用途を提示することによって、Drの薬剤選択を決定付けられる決め手となります。ある災害記事で、薬剤師がいないと効率が悪く今日の半分しか診察出来なかっただろう、と医者が書いていたのを思い出しました。
 こんな感じです。あるDrが『花粉症の薬を出したいのだが…』と相談があり、それに『アレロックとアレグラがありますが、年齢は幾つですか?』『10歳ですね』『アレグラに60㎎もありますが、子供用に30㎎もありますのでアレグラ30㎎はどうでしょう?』『じゃ、アレグラ錠で!』と言ったようなやり取りです。もう少し複雑だったし、お互いの言い方もこんなに丁寧ではありませんでしたけれども…。

救護所内にある調剤ブース、医療チーム医師と相談中の様子。
救護所内にある調剤ブース、医療チーム医師と相談中の様子。
左側の横顔の方が被災に遭いながらも再建に頑張っている現地の薬剤師の柳沢先生。
カルテの内容です、この1冊で調剤までこなします。訂正は薬剤師が行っています。
カルテの内容です、この1冊で調剤までこなします。訂正は薬剤師が行っています。
調剤所の様子。写真左側に並んでいるのがOTC医薬品等。避難者は無料で入手出来る。
調剤所の様子。写真左側に並んでいるのがOTC医薬品等。避難者は無料で入手出来る。
右側のカウンター内は医療用医薬品、薬効順に収められてはいるが…

 また、現場ではノロウィルスが拡がっていると聞いていました。そこで、現場で目の前を走り回っている医療チームに確認したら、「患者は出ていましたが収束に向かって落ち着き始めています、診断レベルを下げようとは思いますがまだ油断はできませんね」とのことでした。
 避難所ではライフラインが整っておらず水は十二分にありません。つまり清掃も手洗いもできない状態です。ですが、このままだと再度感染が拡がる可能性もあります。医療チームの中には感染専門看護師(ICN)がいて、感染拡大防止のために医療チームの指揮を執る事もあるそうです。そのICNと話し合った結果、今後の防止策が重要と意見の一致があり、一緒に策を講じる事が出来ないかを検討しました。ご存知のようにノロウィルスは接触感染です、手指にくっついたウィルスをそのまま飲食してしまうと感染します。つまり、最終的に口に入らないようにしなければならないとの結論になりました。
 周囲を見て回ると、トイレ清掃の不適や扉の取っ手の消毒、手指消毒の不徹底などが挙げられます。水が大量に使えないので洗浄には苦労しますが、それでも使い分ければ何とかなるのではないかと考え、施設の衛生を管理する地域担当保健師を呼んで申し入れを行いました。

  1. 水タンクの増設または使い分け
  2. 清掃や消毒管理のマニュアル化
  3. ウェットティッシュを使用したトイレ後または飲食前の手指洗浄の励行
  4. 細部にわたる塩素系消毒剤(OTCクレベリンスプレー等)での殺菌消毒の徹底

 そして、今夜の会議に持ち込んで検討してみると言って戴けました。
 しかし、保健師さんが言うには、清掃ボランティアの人達にここの清掃が悪いとは言い辛いのだそうです。避難所の管理者も同様の気持ちなので善意に水を差せないと思っているそうです。だと思います。
 でもそうやって、不適を指摘できない避難所管理が不衛生のもととなり感染症を蔓延さる事を容易に想像させます。この混沌とした現状を思い切って取り仕切り、この善意と善意の弊害を整理する一本筋が通ったコーディネーターがいたらその役割はとても大きいのだろうと思います。
 このやり取りは私が帰る前の日の出来事だったので、その後実施されたかどうかは定かではありませんが、連絡を取り合っている現地で活躍する薬剤師の柳沢先生によると、ノロウィルスは収束しかけており現在は落ち着いている、とのことでした。

外に設置されている仮設トイレ、扉はブルーシートのみ鍵はありません。水が無い場所での衛生管理は大変難しい。
外に設置されている仮設トイレ、扉はブルーシートのみ鍵はありません。水が無い場所での衛生管理は大変難しい。
給水施設、水が使えるのはこの1か所のみ
給水施設、水が使えるのはこの1か所のみ
避難所の裏手にノロウィルス患者と家族が隔離されている2部屋、ここの他にも2ヵ所ある。
避難所の裏手にノロウィルス患者と家族が隔離されている2部屋、ここの他にも2ヵ所ある。

【行く前に思っていたこと】

 ボランティア参加が決まった当初は、『自分に何が出来るのか?』とか『現地のために自分が何か残して来よう』とか、幾つか考えていたことの中には『自分で…、自分が…』と、今思えばボランティアのはずなのに結構自分本位だった気がします。

【帰ってきて思うこと】

 確かに現地のために自分たちが現地薬剤師の業務支援をしてきた事は事実です。しかし、現地の人たちにふれあい、現地で頑張っている同業者と交流してきた私達は、行く前の自分本位な気持ちはどうでもよくなり、南三陸町のこれからの動向が気になって気になって仕方がありません。もう一度行けるなら躊躇せず行きたいです。また、誰か身近な薬剤師が行きたいと熱望したなら心より応援したいです。

 
 以下、九州山口薬剤師会へ提出したボランティア活動現地報告、時系列で記載しています。
薬剤師災害派遣 第6班南三陸 行動報告
 長崎県薬剤師会 堀 剛
 担当者5名 : 堀(長崎)、佐藤(熊本)、亀山(長崎)、古賀(熊本)、明石(長崎)
4月11日 18:00 日薬にて前任者の5班と引継会議、南三陸ベイサイドアリーナの担当になった
4月12日 06:00 JALシティ四谷を出発
  11:00 宮城県薬剤師会にて災害派遣についての留意事項の説明を受ける
  15:30 南三陸ベイサイドアリーナに到着
現地、志津川病院の薬剤師である小室、柳沢先生にご挨拶
近畿チーム(4名)と合流

口蹄疫の経験からノロ対策に持ち込んだOTCクレベリンスプレー(二酸化塩素)を染み込ませたバスタオルを避難所の出入り口に設置した。

主な業務は救護所の調剤業務である。
調剤業務は徳洲会病院医療チーム(以下TMAT)医師の診療カルテから処方を読み調剤を行う。

主な流れは以下。
  • 救護所処置ブースにてTMAT医師らが問診、診察、処置を行う。(この時、処方薬剤の選択について相談を受ける事が多い)
  • DrまたはNsがカルテを持ってくる。
  • カルテを読み、該当薬剤が無ければ後発品を含め在庫にある薬剤をピッキング
  • 医薬品の成分が変わること以外の疑義照会は殆どない。Drは目の前で業務しているので照会時は呼び止めて行う事が多い。
  • 災害用薬袋に用法などを記載し服薬指導を行う。この災害用薬袋は複数の用法を記載出来るようになっており、全ての処方薬剤を一袋に入れ込みお渡しする。当然、費用(患者負担金)はかからない。
  • 疑義照会や在庫都合で処方薬を変更した場合、カルテに赤字で訂正、自筆署名し終了する。
  • 1日の患者数は120~140名程度、ほとんどは急性疾患だが慢性疾患も混じる。
  • 現地はスギ花粉全盛で花粉症患者が多い。
  17:00 救護所が終了
明日の打ち合わせを行う、ノロ対策と巡回に取り組んでみようと会議
  20:30 消灯、調剤所と常設荷物用テントで就寝(寝袋必須)
夜間担当2名(古賀、明石)
こんな場所で寝泊まりします、他にも外のテントや体育館…どこでも寝る事が出来ます。
こんな場所で寝泊まりします、他にも外のテントや体育館…どこでも寝る事が出来ます。
4月13日 07:00 救護所に集合、昨夜からの引き継ぎや質疑応答を行う。
ノロ対策1、救護所のドアノブや椅子などをクレベリンスプレーで消毒してまわる
ノロ対策2、避難所の出入り口にクレベリンを染み込ませたタオルを設置
  08:30 救護所オープン
TMATの診察が始まり避難所や周囲の住民の受診がはじまる
近隣避難所を支援している別の医療チーム(DMATなど)の医薬品払出しを行う(朝)
  11:00 避難者を対象に薬剤師3名で巡回(軽医療相談等)した。
 一人は災害前から頭部手術を繰り返していた方で、「痛み止めに錠剤をもらっているが粉薬の方が効きそう」と訴え、もう一人は、「OTCのロキソニンSが災害後は服用回数が増えた、OTCロキソニンSは手に入るか?」
  15:00 出入口のクレベリンマットが乾き、タオルがはがれたので敷き直した。
同時刻 イスラエル軍が建てた仮設病院後の志津川仮設病院の移設準備を手伝った。
日本初の海外医療チームを受け入れました。
日本初の海外医療チームを受け入れました。
4月10日で活動を終え、持ち込んだ医療機器を町に寄贈、18日から公立志津川病院の仮設病院として利用される。
  16:00 近隣避難所を支援している別の医療チーム(DMATなど)の医薬品払出しを行う(夕)
  17:00 本日の救護所が終了
夜間担当2名(亀山、佐藤)
  20:30 消灯、調剤所と支援物資置き場の体育館で就寝(寝袋必須)
消灯準備中、配膳ボランティアの方から衛生環境の改善指導を保健所から指摘されている旨を耳にする。
救援物資を拝見させて頂き、クレベリンスプレーを大量に発見した。明日は衛生環境班を編成する事を検討する。
4月14日 07:00 ミーティング
・近畿チームが新チームと入れ替わり
・調剤班と公衆衛生班に編成することを伝える
・調剤班は昨日同様に行い、新近畿チームへ現場の詳細を伝達する
  10:30 TMATのICN(感染専門看護師)と打合せを行う
・ノロ感染は収束しそうであり、警戒レベルを下げる事を検討している。
しかし、日常生活での公衆衛生を遵守しない限り、レベルを維持できないとの意見の一致から、施設管理者へ公衆衛生の指導を行うよう検討した。
・県庁薬務課が来訪するので、行政を通じて施設管理者にトイレ管理などを徹底するよう提言してもらうようにしたい、と申し込む。
  14:30 6班リーダー濱先生(福岡県薬)が応援の視察
  15:30 施設担当の保健師と面会
  クレベリンの積極的活用と管理のマニュアル化、水タンクの増設、または使い分けなどの工夫で手洗いに使用できないか?を提案した。
本日はアリーナ前で炊き出しのイベントなどがあり敷地内に人が多かった為、救護所の出入りも多く巡回が出来なかった。
  17:00 救護所が終了。
  18:30 明日帰還するので近畿チームと合同会議
 引き継ぎ事項:調剤所の仕分け管理等の件、公衆衛生管理で保健婦さんと話をした件
夜間担当2名(堀、佐藤)
  20:30 消灯、調剤所と支援物資置き場の体育館で就寝(寝袋必須)
4月15日 07:00 ミーティング
 夜間の状況を伝達
本日、帰還するための準備をさせていただく
  08:30 宮城県薬剤師会へむけて出発
  11:00

宮城県薬剤師会に到着
 7班南三陸チームへ引継ぎ、
昼食後東京へ向け出発

**補足情報**
  • ライフライン(電気、水道、ガス)はない、最低限の電気が自家発電で賄われている。
  • 現地では避難者と同様に三食の配給がある。飲料水は避難者用なので自前で用意する。(現地に前任の在庫が有る)
  • 配給以外の飲食は避難者に配慮して行うのが望ましい。
  • ノロウィルス感染を防御するために小マメな手指消毒が必須。
  • トイレは仮設であるため紙は流せない。併設の汚物入れに捨てる。携帯用ウェットティッシュが必須。
  • 4月15日現在、昼夜間の気温差が15度ほどあるので温度変化による体調管理に気を付ける。
  • 自衛隊が避難者用に設営している入浴施設に入れる、シャワーは無い。
  • ニュースでも報道されたように18日から志津川仮設病院が本稼働、別にある救護所の今後の収束方法(または差別化等)の模索検討が必要。
【業務以外に感じたことをついでに】

 子供はどんなところでも遊べます、今回それが判りました。現代の子供はゲーム機や用意された遊具がないと遊べないと思いがちです。しかし、現地では縄跳びの練習ではなく本当のお遊びとして楽しみ、道具がなくても徒競走みたいなことして遊んでいました。たぶん一番の遊び道具は支援物資に入っていたであろうサッカーボールです。すごく使い込まれていました。
 しかし、それも集団でいる時なのだろうと思います。就寝時間後、私が夜勤中に外の仮設トイレに用を足しに行ったとき小学生高学年くらいの一人の男の子が後ろに並びました。仮設トイレの近くにはボランティア団体用の会議または休憩用の大きなテントがありランタンを灯しながら中から談笑するのが聞こえてきます。その男の子は便器の前に立ちましたが用を足す気配がありません。夜の寒空の中、便器の前に立ったままテントをじぃっと横目に30秒ほど見つめていたのです。ここからは私の勝手な推測ですが…テントの中の談笑がすごく気になったのだと思います。羨ましかったのかもしれません。私は心配になってその様子を見つめていましたが何もしてやれません、しばらくして用を足し戻ってきたので少し安心しましたが、今でもあの光景が目に焼き付いて忘れられません。

 末筆ながら、今般の東日本大震災という未曾有の災害でお亡くなりになられた皆様、ご遺族様には心よりお悔やみ申し上げますと共に、被災されましたすべての方々に衷心よりお見舞い申し上げます。また、被災地の一日も早い復興と生活の再建を、心よりご祈念申し上げます。

 


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